★当協会が設立されたのは1969年7月。人類が初めて月に降り立った年でした。
そして今年、2019年。私たちは設立50周年を迎えました。
そこで、5月13日(月)17:30から、50周年をお祝いして「記念の集い」が催されました。
会場は、東京・外苑前の「日本青年館ホテル」。
当協会の発足当時、活動の下支えをしていただいたのがこの日本青年館の同志たちでした。
★創設者の堀添勝身さんは、当時まだ29歳の若者。
働く若者たちの労働環境改善に情熱を燃やされていた堀添さんは、活動母体の設立を急ぎ、
若さを恐れずに財界の大物に会長就任の直談判を試みます。
ところが会社を訪ねても門前払い。
思い余ってご自宅に朝駆けで飛び込んだ。
「仕事の話なら会社に来い!」と叱られて、会社での門前払いを伝えたら、
「一緒に会社まで車に乗れ」
こうして、初代の会長に就任されたのが、藤井丙午・八幡製鉄副社長でした。
若者の情熱と、それを受け止めた経営者の度量がつながったのです。
★そののちの1984年。(設立15年目)
当時の中曽根首相は、これからの日本は欧米のキャッチアップよりも、
東南アジアとの友好関係を醸成することが大事だとして、
東南アジア諸国に、明日を担う若い世代の、日本での研修を呼び掛けました。
そして1984年。東南アジア6か国から、選り抜かれた青年たちが来日。
約1か月の研修で、日本文化に触れ、同世代との交流を通して日本の理解を深めていったのです。
この研修事業はJICAが所管し、当協会をはじめ青少年育成団体などが受け入れに協力。
その後、東南アジア以外の途上国からも広く研修生を日本に招聘し、
これまで30年間にわたって、延べ40,000人を超す研修生が巣立っていきました。
その中で、東南アジア諸国からの研修生たちは、帰国後にそれぞれの国でOB会を発足。
そして東南アジア(10か国)各国のOB会を、横断的につなぐ交流組織(AJAFA-21)を誕生させました。
この交流組織との関係を絶やさずに、民間レベルでつないできたのが堀添さん(理事長)でした。
いまも、AJAFA-21との交流は続き、当協会の貴重な国際交流ネットワークとなっています。
★2012年。
当協会は、公益財団法人に移行し、2010年に逝去された堀添理事長に替わって、
三村明夫会長、井上義郎理事長の体制で、堀添さんの遺志を継いで若者支援の歩みを続けてきました。
★そして今日。2019年。
私たちは50周年という節目を、御代替わりの年に合わせて迎えることとなりました。
【(広報誌)50周年記念号】ダウンロード(ダウンロードが開始されます)
過去の広報誌一覧 : https://www.youthleader.or.jp/public-magazine/
開会のプロローグとして、
50年を振り返った「50年の歩み」が上映された。
三村会長からのご挨拶。
50年経って、さらに次の歩みを始めなければ、
と話されました。
会長ご自身は、2009年に6代目会長に就任。
ちょうど今年で10年目を迎えられます。
つづいて井上理事長からのご挨拶。
大学で堀添さんとは同じゼミ。
それ以来の縁で、50年を振り返って、
人知れぬエピソードを披露。
40年にわたる堀添さんの偉大な功績に、
敬意を表されました。
ご挨拶に耳を傾けて。
参会者を代表して、
当協会の歴史でもっともご縁の深いJICAから、
加藤宏理事がお祝いのご挨拶を。
50周年を迎えるにあたって、
昨年(2018)理事会の中に、
「NEXT50委員会」を発足しました。
これからの方向、活動のビジョンなどを、
1年間にわたり検討。
その内容が隈丸優次委員長(理事)から発表されました。
西尾進路協会副会長のご発声で、
声高らかに「カンパーイ!!」
古い資料やアルバムなどに目を通して、
懐かしんでいただきました。
若い人たちは「自撮り」。
最後の閉会のご挨拶は、
伊庭正樹副理事長から。