<若者力大賞受賞者インタビューvol.3>:花柳琴臣さん(第8回若者力大賞 ユースリーダー賞)

■プロフィール

1982年生まれ、34歳。日本舞踊家・演出家。

22歳のときに入院生活を経験し「生かされている」という思いを抱き、支えてもらっている方々に踊りで返したいと強く思うようになる。現在は、岐阜県高山市、白川村の小中学校を中心に、日本舞踊を通し礼儀作法を教えるワークショップに携わり、「日本から羽ばたいたときに日本人らしさを出せるように」という思いで子どもたちと接している。中高生に向けた学校の吹奏楽部では、日本舞踊隊やマーチング指導をし、日本の伝統を身近に感じるきっかけ作りをする大きな成果を上げている。

表現者としては、日本舞踊の枠だけにとどまらず、モダンバレエや和太鼓とのコラボレーションで、日本伝統文化の普及に尽力している。自身の出身地である東京都北区の「さくらSA-KASO祭り」の実行委員長を務め、舞台演出や地元産業を中心とした出店プロデュースで実績を積んでおり、今後は自らユースリーダーとしてだけでなく、ユースリーダーを支援する立場となることを目標としている。

■インタビュー内容

――先日「infinity」で、ボレロを踊るバレエダンサーと日本舞踊が一緒に踊るコラボレーションを拝見して衝撃を受けました。そのようなチャレンジングな世界から、伝統的な日本舞踊の師匠としての活動など、現在どのような活動をされていますか。

 

琴臣さん:日本人の大半の方が、伝統芸能としての日本舞踊のイメージは、着物を着た女の人が踊っているとか、紅白歌合戦の後ろで踊っている人というような漠然としたものだと思いますが、私は母が踊りを習っていたので、環境で自然とイメージが自身に入ってきました。踊りに関わっているからには、伝統を残していかなければならないという部分と、もっと別の魅力があるのではないか、という自身の追及も並行していく中で活動をしています。

現在の活動で一番割合が大きいのは、学校からの依頼です。単純に日本舞踊を教えるのではなく、礼儀作法の根本的な心もちや意味合いについて教えています。学校での起立礼と共通した考え方として、日本舞踊の稽古をするときも基本的にお辞儀をし、その意味合いを教わってきましたが、学校では何も考えずにお辞儀をしているかと思います。今後世界中の方がいらしたときや、自身が世界に出たときに、日本人らしさを考える機会を与えるということが一番多いご依頼です。

ご縁があり岐阜県の飛騨高山の学校の授業として取り入れてくださり、定期的に訪問しています。他には、吹奏楽部の演奏に日本舞踊を取り入れて演出をする学校からのご依頼もあります。私も元々吹奏楽をやっていまして、東海大学付属高輪台高校という強豪校にご縁ができ、吹奏楽部の中からオーディションで20人ぐらいの日本舞踊隊を結成し、丸7年が経ちました。歌舞伎や日本舞踊の要素を取り入れて、着物の衣装を生徒が作って大会で披露したりもしています。定期演奏会や強豪校なので大会を観に来た中学生、高校生の目にとまり、影響が急激に広がりを見せています。また毎年卒業生が私のところに弟子として入ってきて本格的に続けている生徒も居ます。細く長くではありますが、いい影響があるので、草の根で広げる活動になっています。

 

――「infinity」のように表現者としての時間よりも指導者としての時間の割合の方が大きいでしょうか。

 

琴臣さん:最近は指導者の時間の方が長いですが、数年前「infinity」の演出をされている山田淳也氏とのご縁で、agehaという日本最大級のクラブのカウントダウンイベントで日本舞踊を踊る機会がありました。ショーに和のエッセンスを加えることで新鮮さや深みが出たりすることに繋がると思いました。他には、クラシックミュージックやシャンソンカンツォーネの方と繋がりが出来まして、実はシャンソンは日本で言う小唄端唄のイメージなのでテンポがすごく合うのです。シャンソンカンツォーネと日本のお座敷で出てくるもので共通するのが、恋愛ものであったり、その精神であったり、4-5分のドラマに凝縮することは世界共通だなと感じています。

私自身外国語が苦手なのですが、パフォーマーとして踊ることであったり、そのあとにお辞儀をすることは言葉がいらないので、自分の体一つで伝えられるのではないかということを探っています。どんな音楽であっても踊る舞うということであれば世界共通で、どの国の人とでも交流はできると思っています。

学校での起立礼は明治44年に法律で決まったそうです。着物文化から洋服文化に移行する際に挨拶の仕方が、上半身だけ動かす欧米のスタイルになりました。日本古来の挨拶は、膝を曲げ腰を屈めるスタイルです。世界の方々と挨拶する機会があったら、相手の方に合わせることも大切ですが、日本らしさ自分らしさを持ってお辞儀をすることも大事であると思います。

先日の「infinity」の演目ボレロは、4名のバレエダンサーの方々と踊りまして、バレエと日本舞踊の表現は、重心から全く逆であったりでしましたが、話し合いの結果その比較であったり違いも含めて表現をし、魂の融合をしようということになりました。

 

――日本舞踊の世界の中にはもちろん伝統的な歴史や誇りを受け継がなければという方がいらしたり、花柳さんのように新しい世代の方でコラボレーション活動に積極的な方とで意見の違いはあるのでしょうか。

 

琴臣さん:多少はありますが、日本舞踊は能狂言と比べますと歴史は浅いですし、歌舞伎から歌舞伎舞踊を取り出して、新しい文化として日本舞踊というネーミングでスタートしました。明治時代に新しい舞踊として坪内逍遥氏が新舞踊運動を始めたことが原点ですので、100年も前からコレボレーションはやっていましたし、常に模索しているのかもしれないです。歌舞伎は商業演劇として確立されていますし、「演劇」という考え方で能狂言とともに考えられることがありますが、日本舞踊は確立しきれていないと思います。日本舞踊というものが、イメージとしてお稽古文化から来ているので、日本の中で補助的に考えられていると思います。そのような日本舞踊を、舞台芸術として確立したいと時代時代で模索しながらやっている最中なのです。

 

――そう考えますと、チャレンジも出来ますし託されていますね。上の世代の方から、反発があまりないという話だったのはやはりそのような歴史の流れがあるからなのでしょうか。

 

琴臣さん:もちろん歌舞伎舞踊で三味線音楽しか踊りません、という方や職人のような堅気の方もいらっしゃいます。しかしその時代の息吹を加えながら、クリエイティブにチャレンジしていくのが日本舞踊なのかなということに最近気づいてきています。

 

――いろいろな方々とコラボすることで日本人の可能性を引き出してもらっている部分もあるし、日本舞踊がそちらの進化を促進するみたいなことが起きていますね。

 

根底の「舞う」ことは何かを奉納することだと思います。昔、「わざおぎ」という言葉がありましたが、天上世界と地上世界を繋ぐ役割が、舞いや踊る、俳優など板に乗る人間の立場だったと思います。

数年前にバリ島のビーチで踊る機会をいただきました。そのときに土の上に直接自分の足で踊り、地面を直接感じながら空気・天上世界とを繋ぐ感覚を覚えたことがきっかけでした。逆にその時の観客に日本の着物の形や踊りの動きの素晴らしさに気づいたという言葉もいただきました。

 

――本業だけではなく、地元のお祭りのボランティアスタッフをずっとされていると伺いました。

 

和太鼓に興味があり入った高校で、和太鼓部と吹奏楽部に入りました。自ら企画し、近隣の方や福祉園の方などをご招待して和もののイベントを開いたりしていました。夏休み期間にボランティア活動をしたいという話になり、北区、板橋区、文京区の障害者施設や病院に電話をしたり訪問したりでイベントをしたいと根気強く伝えました。私たち自身も発表する場がほしかったですし、発表することで喜んでもらいたいというシンプルな考えだったと思います。

その後22歳のときに病気で入院することになりまして、「自分が生かされている」という感覚がすごく強くなりました。入院中は病院の先生方だけではなく、いろいろな方々に支えられ、自分で出来る踊りでその方々や地域に貢献することでお返ししたいと思うようになりました。

色々なご縁で繋がったのが、北区区民祭りと、北区さくらSA*KASO祭りで、自然に関わるようになり、もうすでに10年以上が経ちました。

 

――今後は祭りの後継者を育てたいと考えていらっしゃると伺いました。

 

私自身伝統芸能の「繋げて」きた世界に居りますので、お祭りも同じように今後繋げることが重要と考えています。まだまだ引退を考えているわけではないですが、もっともっとできることを広げていきたいと思います。祭りの後継者というよりも特に同世代の仲間を増やしたいとは考えています。区民祭りも60代や70代の方が中心にされていますし、もう少し私たちの世代が出ていって、いろいろなアイディアが出ることで「まち」がもっと発展して盛り上がればと思います。

 

――岐阜県白川郷で、子どもと白川郷の未来を考えるという活動をされていますよね。

 

「礼儀作法」からの繋がりで、白川郷の学校の先生を紹介していただきました。はじめは簡単にワークショップをしたのですが、そのワークショップの際に村の教育長さんに、「一流の白川びとを育ててほしい」と強いお声をいただき、年に4回授業をすることになりました。白川郷は中学校までしかないので高校進学で村を出る形になりますが、いつか村に帰ってきたり、戻れなくても村のためになにか意識してもらいたい、伝統伝承のある世界遺産である村は、やはり村の人で守ってもらいたいと思っています。

外の人を入れずがんばっていて素朴が売りの村ですが、現在、海外観光客に向けてホテルを建てるという話も進んでいるのが現状です。子どもたちもすごく葛藤していますし、伝統伝承ということにしっかりと意識を持った子供に育てたいという理念で教育長からお話しをいただきました。そういう事情を伺いますと、礼儀作法や踊りを教えるだけではないので、村に行ったときには村の人と関わったり、お祭りや文化に触れるようにしています。

 

――年4回の授業を3年間、子供たちにはどのように授業をされましたか。

教えるという点ですと、まずは日本の礼儀作法や、靴を揃える、校長先生と会ったら立ち止まって挨拶しましょう、ということからスタートしました。まずは学校の雰囲気を明るくして、人と人との関わりを大切にということを最初の1年間、時間をかけました。

白川郷には私の他にもう1人舞踊家が行きまして、日本舞踊などの体験をしながら、先人たちから受け継いできたものが今ここにある、ということをお話ししたりすることを2年目のメインにしました。

最終的には、自分たちで積極的にディスカッションをして、「10年後20年後の白川村のために自分たちは何をしたらいいのだろう」ということを自発的に考えるきっかけ作りになるような活動をしました。いつも会っている学校の先生ではなく、東京から来た第三者からのアプローチが、子供たちが考えるきっかけになればと思います。

 

――子供たちの反応はどうでしたか?

 

すごく面白かったです。小中学生、学年によって全く違いますし、グループごとにしたので、グループによっても全く違いました。例えばコンビニが1件しかないのでスーパーもほしい、もっと遊ぶところもほしい、という話が上がりました。しかし現状を考えるとどうなのかという話に進み、もし便利なものが増えたら観光客も増えて合掌造りがなくなってしまうのではという話にもなりました。白川郷には、見れたり中に入れたりする合掌造りと、普通の家と2種類ありますが、観光スポットと勘違いして普通の家に入ってくることが多々あるようです。沢山の人に知ってもらって、来てもらいたいと思うけれど、そういう人が自分の家に入ってきたり、人が増えるとゴミもそこらへんに捨てられて増えるので困るとなったり、そのためにはどうしたらいいのか具体的な方法論にまでなり、子供たちは村についてしっかり考えていました。

 

――現第三者の視点からなので逆に上手く動かせるのかもしれないですね。今後は白川郷に限らず、東京、日本だけでなく海外でも役割はありそうですが、今後はどのように考えていらっしゃいますか。

 

色々な目標、夢はあります。具体的には、1つは学校に関わることで、いじめと自殺をなくしたいと考えています。学校に関わっている中でずっと思ってたことで、要は人と人の関わりが少ない、人を察することや人を感じること、相手がどういう感情なのかということを考える力が退化しているから、人をいじめるという感情になってしまうと思います。いじめられたら追い込まれてしまって、人にどう関わっていいか分からないから、自殺に繋がってしまうのではないでしょうか。礼儀作法を切り口に、人に対して気分よく挨拶をしたり、何かものを渡すときには手を添えて笑顔で渡せば、された相手は笑顔になって「ありがとう」という言葉に繋がると思います。そういう波動がどんどん広がれば、1人でもそういう子どもが減るのではないかと思います。やはり命の大切さを知ってもらって、子どもに自殺なんて選択をさせてはいけないと思います。

他には、自分自身の活動として、生まれ育った地域で活動をしたいと思っています。この前お祭りがありましたが、私が小さいときに比べてすごく寂しくなってしまっていて驚きました。子どもがその地域にすぐ増えるということは難しいと思うので、北区の中でも皆さんが助け合って、北区中が盛り上がるように、例えばこの日はこのエリア、次回はそのエリアというふうにして、まち全体を盛り上げることに繋がるのではと信じています。子どもがいないわけではないので、魅力が足りなかったり、他の世代との繋がりが面倒くさくなったりしてしまうのかもしれません。

白川郷ですと少数の村ですが、集落ごとにお祭りや踊りの振りや太鼓の打ち方が違ったり、それぞれが文化を守る、ブランド意識を持っているモチベーションをひしひしと感じましたし、それが祭りの原点だなと気づきました。比較すると東京はやはり繋がりの希薄さをすごく感じます。

 

――ご自身の舞踊の世界での今後はどのようにお考えですか。

 

現在を考えますと、描いていた踊りの夢は叶ってきていますね。なので、夢にも思わぬ夢を楽しみにしています。他には、舞踊家として、エディンバラのフェスティバルに1か月立たせていただいたり、ウィーンフィルの本拠地、楽友協会ホールで踊らせていただいていますし、日本だけではなく外国でも日本人が踊る舞踊の美しさをもっと知ってもらい、もっと感動を与えられる舞踊家になりたいとおもいますし、今後は現在のテクノロジーも取り入れて伝えていきたいと思っています。

 

 

――今日は色々お話を伺うことができました。ありがとうございました。今後のご活躍を期待しています。

 


さて、来たる2017年2月21日(火)の第8回若者力大賞では、表彰式にて花柳琴臣さんご本人の受賞スピーチもございますし、交流会にもご参加いただける予定です。ぜひ、若者力大賞にご参加ください。 

「第8回若者力大賞」表彰式&交流会の詳細と参加申込はこちらからお願いいたします。